東交民巷
 

今現在、東城区に多くの王府、役所、四合院建築残っている同時に、西洋建築も老北京の「CBD」のような存在であった。また、西洋建築というと、東城区にある東交民巷を言わなければならない。

明時代において、東交民巷は東江米巷に称されていた。政府六部の中の礼部及び鴻胪寺と会同館が設けられていたが、主に安南、モンゴル、朝鮮、ミャンマーという四つの国からの使節を接待していたので、会同館はまた「四夷館」と称されていた。1860年第二回アヘン戦争に中国が敗戦してから、清政府がイギリス、フランス、アメリカ、ロシアと締結した《天津条約》の中の関連条項の規定に基づき、イギリス公使は東江米巷の淳親王府に、フランス公使は安郡王府に、アメリカ公使は米公民Dr S.SWiliamの東江米巷にあった私宅に、ロシア公使は清初にここに修築された東正教教会堂ロシア館に入居することになった。それ以来、ここは北京の大使館エリアになり、外国列強は次から次へとここに大使館を設けていた。後で、ここにもイギリス匯豊銀行(Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)、麦加利銀行(Chartered Bank)、ロシア俄華道勝銀行(Russo Chinese Bank)、日本の横浜正金銀行、ドイツの徳華銀行(Deutsche Asiatische Bank)、フランス東方匯理銀行(Banque de L”IndoChine)など外資銀行が現れ、またフランス郵便局、病院などの施設は創立された。

現存の建築について、フランス大使館、オーストラリア・ハンガリー大使館、ベルギー大使館、日本公使館と大使館、イタリア大使館、イギリス大使館、以上の銀行と国際クラブ及びフランス兵営などが残された。現存の建築は、すべて元のままで、二十世紀初において欧米流行の折衷主義スタイルを保持し、レンガで塀の隅と付け柱を築き、レンガ築きのアーチとベランダ、木構造の桁、ブリキの頂としている。